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改めて、風立ちぬ。

 「風立ちぬ」という映画について、改めて。
 この映画についてちょっと感想とか見聞きしていて思ったんですがこの映画って話しづらいんですよね。
 それはそうだと思う。そもそも話題にあげて話をする時って、どんな物語だったか?というのを前提にして話すのだと思うけれど、この作品がどんな物語だったかを説明するのは難しい。
 単純に飛行機を作る話だとも、恋愛話だとも言い切れない、この映画は時代物だろうか、戦争物だろうか、そのどれとも言い切れない。
 数十年の時間を渡り歩くこの映画の時間は飛び飛びで、一つ一つの場面は連続した時間としてはつながらない、見ていても一体どれほどの時間が経ったのか正確に把握することは難しい。
 映画の風景は日本のあるときの姿を表しているようでもあり、またこれまでの宮﨑駿さんの関わった作品を思い出させる風景のようでもあり、その中を点々と旅しているような非現実的な感覚もある。
 堀越二郎が現実と夢の中を往き来するように、映画を見ている人もまた現実の歴史の中と風立ちぬという夢の中を行き来する。
 そんなふしぎな作品なんだけれど、個人的にこの間に一つの作品を通して見直すと、少しわかりやすいかなと思っています。
 わかりやすいというと語弊があるかもしれないけれど、「風立ちぬ」ととても似ていて、また真逆の作品だと思う。
 個人的に思っているだけなんですけど、その作品は「王立宇宙軍オネアミスの翼」。
 似ているところは色々あって、そもそも冒頭の始まり方が似ているんだけど、どちらも子供の頃飛行機パイロットに憧れて、夢破れる。
 夢は二重の意味での夢で、どちらの主人公も眠りから目が覚めて、という所からこの二本の映画は始まります。
 王立宇宙軍は架空の星を舞台に現実の地球の世界観が投影されており、主人公も等身大の人物。風立ちぬは実際の歴史、史実の人間を主人公としてまったく架空の人生を描いているという、どちらも少し変わった世界観をもっている。
 人物配置や個々のエピソードは見比べると似ていると思う、けれど印象はかなり違う。
 大きな部分としては、王立宇宙軍で見どころとして描かれるスパイが暗殺にくる件やクライマックスの戦争シーンなどは風立ちぬには存在しない。
 とはいっても、全くないわけではなく別荘で出会う外人はどうもスパイだったらしいであるとか、最後に戦争があった事自体は触れられている。
 風立ちぬでは、これらよりヒロインとの恋愛模様に比重が置かれているように感じる、これは王立宇宙軍との大きな違いだと思う。
 そんな風に見比べるうちに、自分としては風立ちぬを見たことで、王立宇宙軍に対する見方が少し変わっていった。
 これは、ピークに関する話だと思った。
 王立宇宙軍のクライマックス、ロケットに打ち上げられて宇宙に行くのは主人公にとって、人生のピークだと思う。
 王立宇宙軍は主人公のそれまでの人生の中で、最高到達地点に達した瞬間に終わる、それまでの物語だ。
 風立ちぬはどうだろうかと思うと、この映画はそれがどこなのかがわからない。
 ただ二つの映画を思い浮かべて、自分が少し思ったのは、風立ちぬという映画は一人の人間の人生のピークを渡り歩く物語だったかもしれない。
 生きていく中で起きた良いことも悪いこともどちらも等しく一人の人間の中で印象に残った、ある種のピーク。
 そうした記憶が付箋のような働きをすることで、人生を見通す道しるべになる。見ている人間は、そんな付箋をたどって見ていくうちに、堀越二郎という架空の人間が本当にいたような気分になる。
 自分もこれからの人生の中でこの作品の事をふとした瞬間に思い出し続けるんじゃないかなと思いました。
 

 所でまだ少し風立ちぬについて書こうと思ったけど、出かけなければいけないので、続きます。
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by Yakeishi-ni-Mizu | 2014-01-05 03:18

かぐや姫の物語。

 公開初日に見に行きました。
 話はかぐや姫そのものなんだけど、見終わるとかぐや姫という人物に対する印象が変わる。
 映画館を出る頃には、そういう人がいたような気がする、これは「風立ちぬ」もそうだった。
 たぶん、高畑勲さんがずっと続けてきたことだと思うんですがじっくり進んでいく話には見応えがあったし、現代性があったと思います。
 自分としてはディズニー作品の「お姫様」に対する一つの回答にも見えました。 
 長編アニメーションの原点として「白雪姫」という作品があるとすると、お姫様と王子様という男女の関係性が中心にあるんだけど、お姫様というのは王子様と結ばれた瞬間に特別な存在でなくなる。
 お姫様の自立の話だったのに、王子様が登場した瞬間に個人の自立という部分が抜け落ちてしまう気がして、高畑さんの作品にはそれに反する部分があるんじゃないかと。
 初見の印象としては、ジブリで高畑勲さんが作った作品の中でも特に見やすい印象を受けました、長編映画の時よりもTVシリーズの高畑さんの作品を見た時に似た感触。
 笑えるところは笑えるし、自分以外の劇場の反応もかなり良かったです、子どもたちも笑っていました。
 個人的に面白かったのはかぐや姫が求婚に来た人たちに無理難題を押し付ける長回しのカット。
 これだけの大人数をワンカットに入れ込んでて、一人一人ポーズをとってシルエットで変化をつけるってすごい難しいことを日本画風の平面パースでやってるんですけど、普通に笑える感じになってるのが凄いなと。
 日本アニメとしては特殊な画面で作られた作品ですけど、キャラクターの色にムラがないせいか普通のセル画系の絵柄のアニメとそんなに印象が違った気がしなかったかな。
 線描としては数年前から、特に最近になって鉛筆の描線を強調した作品が何本か出てきているのでそれと比べて効果的だったかどうかという評価になると思う。
 見た感じ、日本画風というよりは鉛筆のムラの個性のほうが強いので鉛筆画としてのイメージのほうが強いと思った、いわさきちひろさんの絵に近いものがあると思う。
 かぐや姫が竹から出てくる所の光がモノトーンの点描のように描かれているのが面白くって、その後もこういう面白い表現が出てくるのかなあと思ってみていたんだけど、特にそういうことはなくそこだけだったのは少し残念だった。
 この部分が特殊だったのは、この作品の特殊な画面が光を描くのに向いていなかったからなのではと思う。
 この作品では、画面の一部の背景が基本的に白く飛んでいるので白色=光という単純な質感のマチエールとしての法則が使えない、この作品を見て改めてそれがセル画的な絵柄の特性だったことに気付かされた。
 他にも透過光などの撮影効果を使うのも難しいだろうと思う、光というのはアニメの中でも難しい部類の表現で、この作品を通して見た事で、改めてセル画的なアニメの快感や面白さ、またある種の限界に気づけたと思う、そういう意味でもこの作品を見れて良かった。
 といっても、画面が白く飛んでいるのは演出的な側面が強いのかもしれない。
 作品を通して全体的に画面から空の青色を抜き出していて、終盤かぐや姫が山に帰った所から青空も色づき、最後は真っ暗な宇宙でかぐや姫が青い地球を見つめながら去っていく。
 かぐや姫にとっての特別な何かを象徴するものとして「色」が存在しているわけだ、徹底した作品だと思う。
 動きに関してもどこを抜き出しても、上手かった。そして、どの動きも作品の一部として抜き出せないよう徹底して作品の肉体の一部として機能していたように思う。
 すべての技術が一つの作品を形作るためだけに生きている。日本的なアニメの特性をなくした上で一から技術を作って、また使いきっている。
 精巧な技術が組み合わさって一つの模様になる、寄木細工のようなムダのない技術の美しさを感じた。
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by Yakeishi-ni-Mizu | 2014-01-05 01:12

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